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カブトムシダイエット

カブトムシダイエット

菜食著名人の言葉

菜食著名人の言葉

アインシュタイン=「菜食がもたらす情緒面での変化並びに浄化は、
人類に対して非常に多くの利益をもたらすと考えます。
したがって菜食は人類にとって非常に幸多き、平和なことなのです。人類は菜食をすべきです」
「菜食主義への移行ほど健康と長寿に有効な方法はない」

ピタゴラス=魂は不滅であり、肉体が消滅した魂は他の肉体の中に移住、肉食は動物の意識が身体を通過すると解いた。

プラトン=「神は人間の体に栄養を補給するために、木と植物と種を創造した。」肉食が始まったことによって戦争が起こった。と解いた。
菜食主義を理想国家のモデルとして推奨。

レオナルド ダ ヴィンチ=「私はかなり若い頃から動物を食べるようなことは絶対にしなかった。動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。人間がこのことを認識する日はいつか来るだろう」
自然や芸術を愛するが故にすべてのものの中に生命を見出し、動物の肉、魚、卵、チーズ、ミルク、蜂蜜などの動物性食品を一切食べない。

リヒャルト・ワーグナー 1835 - 1917
もし現代の社会主義が、ベジタリアン、動物の保護者、禁酒の友という三者と、真に心からの連携を結ぶことができるなら、
そして強い内的な理由があれば、我々の国家社会は、現代の社会主義でさえも十分注目に値する、と見なすであろう。

ガンジー=肉食は我々人間に適さないと私は考えています。もし人間が動物よりすぐれているというなら、
人間は下等な動物の真似をするという過ちを犯していることになります。と言った。

トルストイ(1828~1910)ロシアの小説家、思想家。59歳で肉食をやめた。
「動物からもたらされた食物を神が許したという風に信じさせられた結果、
人々は動物を食うことを悪いことだと考えない。が、これは間違っている。
たとえいかなる書物に動物を殺したり食ったりすることが罪悪でないとかかれていようとも、
それ等のいかなる書物におけるよりも遙かにはっきりと、動物をもわれわれ人間と同じように憐れんで、これを殺したりしてはならないと言うことが、人間の心の中に書き記されているのである。
そして我々は自己の内部の良心を殺さない限り、みなその事を知っている」

ジョージ・バーナード・ショー(1856~1950)
私は現在85歳だが、これまでと同じように元気に仕事をしている。
もうかなり長く生きたので、そろそろ死のうかと思っているのだが、なかなか死ねない。
ビーフステーキを食べれば、ひと思いに死ねると思うのだが、私には動物の死体を食べるような趣味はない。
私は自分が永遠に生きるのではないかと思うと、空恐ろしい気分になる。これが菜食主義の唯一の欠点である」と言った。

アルベール・シュバイツアー 1875.1.14~1965
「動物を食べることは私の信条に合わない。だから、私は絶対に肉食をしない。」
「生きとし生けるものすべてに、慈愛の輪を伸ばすまで、人は自身の中に平穏を得ることはできない。」
アフリカ・ランバネレでの医療活動が認められ「ノーベル平和賞」に輝いた

ベンジャミン・フランクリン 1706 - 1790
「私は肉食を忌避してきたので、時には不便な思いをしてきた。
この特殊な性癖のためによく叱られたのである。しかし、軽い食事のおかげで、
私は頭脳がより明晰になり、理解力も早くなって、大変な進歩を遂げる事ができた。」

肉食:罪深い食べ物で体を汚さないでください ―ピタゴラス
ピタゴラス


ピタゴラス は こういっています。

「同士諸君 。 罪深い食べ物で体を汚さないでください。
私たちには とうもろこしがあります。
たわわに実るりんごがあります。

みごとに熟したぶどうがあります。
甘い香りのハーブや、
火にかければやわらかく煮える野菜があります。

だれが タイムのほのかな香りただよう蜂蜜をことわれるでしょうか?
地球はよごれのない食べ物という富を
おしみなくあたえてくれます。

そして血を見なくても
ころさなくてもすむように、
すばらしいごちそうを あたえてくれるのです。

獣だけが空腹を肉でみたしていますが、
それが全部が全部というわけではなく、
馬や牛や羊などは草を食べて生きているのです。」


ディオゲネス

伝記作家のディオゲネスは
ピタゴラスについてかいています。

彼は、パンと蜂蜜で朝食をすませ、
夕食には、生野菜を食べました。

そして彼は とれた魚を海にもどしてやるために
漁師に金をわたしたりしていました。




「 肉をたべることは 」 という エッセイで
ローマの作家 プルタルコスは書いています。

「私としてはむしろ、次の点を知りたいものだ。

人がどんなきっかけで、
何を考えながら 血のりを口にし、
死骸を口にしたのだろうか

死で腐敗した死骸の乗ったテーブルに足をむけ、
ついさっきまで 泣きわめき、
動きまわり、生きていた動物の一部を、大胆にも食べ、
栄養素などと呼ぶのです。

殺されのどを引き裂かれ、
皮がはがされ、
足がひっこぬかれるのを

どうやって黙って見ていられたのだろう。

あの悪臭をどうやって 堪えていたのでしょう。

致命的な傷から流れる血や
体液でよごれても、
まだ肉を食べようと思うものなのでしょうか

ライオンやオオカミのような動物を
正当防衛で殺しているのとはちがうのです。

むしろ、牙も毒牙 もない、
おとなしく危害のない動物を殺しているのです。

それも、 ほんのわずかな肉のために、
ただそのためだけに、

おとなしい動物から、
生きるためになくてはならない 太陽、 光、 命 を
奪いとっているのである。」


そして彼は、肉食をする人々に つぎのようにいどんでいます。

『 もしあなたが そのような食生活に
自分がむいていると言い張るのであれば、
食べたい動物を
自分自身で殺して みなさい。

さあ, やってみなさい。

大きな肉切り包丁も、
こん棒も, 斧も つかわずに

自分の手で。 』



ルネッサンス時代の画家、発明家、彫刻家、
及び 詩人でもあったレオナルド・ダ・ヴィンチは、
菜食主義になるための倫理学的研究をまとめて、次のように書いています。

「 生命の価値を認めない者に、
 生きる価値 はない。 」

彼は 肉食する人の体を
「 埋葬の場所 」と考えていました。

つまり、たべた動物の墓場という意味です。

それらの動物に対するあわれみの言葉が、
ノート一面に書かれています。

数え切れないほどの動物たちには
それぞれ 自分たちから引きはなされた
幼い子たちもいただろうに、
そして、動物たちは
無残に体を引き裂かれ殺されるのです
となげきました。



フランスの哲学者ジャン・ジャック・ルソー は、
自然の主唱者 でした。

彼は 一般に 肉食動物の方が
菜食動物より残酷で暴力的なのを観察しました。

ですから、菜食になれば
慈悲深い人が増えていくだろうと結論をくだしたのです。



経済学者のアダム・スミスは、
菜食の利点 を主張しています。

生命を維持するのに
肉が本当に必要なのかどうかは疑問である。

穀物や野菜と牛乳、チーズ、植物性油、バターは
量が豊富で 健康によく 栄養価が高く、
エネルギー をあたえる食事なのです。
肉屋の肉をたべなくてはならないなどというような義理は
どこにもないのです。

同様の考えが、ベンジャミン・フランクリンに刺激をあたえ、
彼は、16才の時に菜食主義になっています。

「すぐれた頭の浄化とすばやい理解力から、高度の発展が生まれる 」。
ということに 気がつきました。

彼は 自叙伝の中で肉食を 『 無意識の殺人 』 とよんでいます。

ベンジャミン・フランクリン



詩人のシェリーは、厳格な 菜食主義者 でした。

「 自然の大切さ 」 の中で こう書いています。

肉食の支持者達に、
それがどれほど人間にふさわしいか決断をくだしてもらおう。

ブルタークのいうように、
生きている羊を 自分の歯で引きさかせ、
心臓に頭をつっこんでもらい、
そこから流れでる 血でのどをうるおしてもらおう。

こうしたのち、
それでも信念がかわらないのであれば、
彼は 真の肉食家として、認められるだろう。

シェリー は オックスフォード大学時代から
菜食主義 に興味をもち始めました。

ハリエット夫人 と結婚して間もなく、
ふたりとも菜食になっています。

その後夫人は 1812年3月14日に
友人にあてた手紙の中で、書いています。

「 私たちは肉を断ち、ピタゴラスの食事療法をやっています。
シェリーは『 妖精女王のマップ 』という詩の中で、
人間が動物を殺して食べることのない ユートピアを描写しました。

彼は 自分を見つめている羊を殺す そして、めった切りにしたその肉に
おそろしくむさぼりつくすすりなく大自然の法則にさからいながら
燃えあがらせていく、あらゆる本性を
悪魔のごとき激情のすべてとむなしい信仰を
あふれるばかりの憎しみ、絶望、嫌悪と苦しみ、死、病、罪の温床 を・・・・・ 」


トルストイ

ロシアの作家レオ・トルストイ は、
1885年に 菜食 になりました。

スポーツ でやっていたハンティングを一切やめ
菜食平和主義を始め、
蟻のように小さな動物を殺すことすら反対しました。

彼は、かならず人間社会を戦争へと導く暴力が、
しだいに 増えつつあるのを感じていました。

トルストイは『 第一歩 』という エッセイの中で

「肉食 は 非道徳、ただそれだけである。
 道徳的な感情と正反対である
 殺すと言う行動をしなければならないからである 」。 

 とかきました。

さらに 殺すことによって
「人は うぬぼれ が すぎるようになり、
自分と同等に生物たち にたいする、
あわれみの情 や 慈悲心 を示すといった
最高の精神的能力 を失う。
そして、自分の感情を無視し、残酷になるのである 」。
とくわえます。


ワーグナー

作曲家 リヒャルト・ワーグナー は、
あらゆる生命は神聖であると信じていました。

そして、菜食主義 を「自然の食事法 」つまり、
菜食になることによって、人類を凶暴にする傾向から救い
「 長い間 うしなわれていた 楽園 」に帰るのをたすけると考えていました。



ヘンリー・デビット・ソロー は、菜食ですごしました。

彼の菜食は 完全なものではありませんでしたが
その良さを認めています。

『 森の生活―ウォールデン 』 で
次のように書いています。

「もし人間が 肉食動物 であれば、
それは不名誉なこと ではないでしょうか。
事実、人間は 肉食で きるし、他の動物をえじきにしながら十分に 生きてもいけます。

しかし これはなさけない生き方でしかないのです。

罪のない、 さらに健康的な食事法を教える人は、
人類の恩人として 考えられるであろう。

私のやっている食事法はともあれ、
肉食から少しづつ遠ざかってゆくのが
人類の宿命であると私は信じます。


ガンジー

20世紀の 非暴力主義者の偉大な提唱者、
マハトマ・ガンジーが菜食主義だったのはよく知られています。

両親ともに熱心なヒンズー教徒だったので、
肉、卵 を幼いころから一切口にせずに育ちました。

当時 イギリスの植民地 だったインドは
古くからの文明が 滅ぼされる危機にさらされていました。

そんな情勢の中、多くのインド人は西洋の肉食の習慣を始めていったのです。

ガンジーですら、体力増強のためにと肉食を進める友人らに屈していました。

しかしのちに、ふたたび 菜食になりつぎのようにいっています。

「菜食が私たちを 心身ともにひよわにするという誤解を
ただす必要があります。
肉、魚、卵は、私たちには まったく必要ありません 」。

ガンジーは 5冊も 菜食主義 についての本をかいています。

彼自身、 小麦のモヤシ、アーモンドペースト、青菜類、レモン、蜂蜜 などをふくむ食事をしていました。

そして、 菜食主義の共同体「 トルストイ農場 」を作りました。

ガンジーは 『 ガンジーの健康論 』 の中でつぎのように かいています。

「 肉食 はわれわれ人間に適さないと私はかんがえています。
もし人間が 動物 よりすぐれている というのなら、
人間は 下等な動物を真似する という 間違いをおかしているということになる 」。

菜食の食事法 を健康より 倫理的な理由でおこなうことは
一生つづける支えになるというのが彼の考えでした。

「 肉体の欲求を満足させるために、
われわれの仲間である動物を殺すことは、やめるべきだと
考えるようになるほどの精神的発達の必要性を私は 痛切に 感じます 」。



劇作家の ジョージ・バーナード・ショー が、
初めて 菜食主義 になろうとしたのは、25才の時 でした。

「今までの 食生活の残酷さにめざめさせてくれたのは シェリーでした 」。

と 自叙伝 に かいています。

ショーのかかりつけの医者 は
「 そんな食生活を始めれば、 死ぬかも知れない 」
と 忠告しました。

ショー が 死ぬことなく老人になったとき、
ある人が彼にたずねました。

「菜食が何も悪い影響をあたえなかった と、
なぜ 医者に報告しなかったんです 」。

「 私もそうしようと思いましたが、
医者たちは とうの昔に 死んでいたのです 」。

と ショー は答えました。

またあるとき、
「 なぜあなたは そんなに若くみえるのですか 」。
と 聞かれると
「私が年相応なだけで、他の人が年のわりにふけてみえるだけです。
もちろん死骸をたべていれば 無理もない でしょうが 」。
と 答えました。

社会の暴力と肉食の関連性についてショー は かいています。

「 日曜日に われわれは
光 が あたえられることを祈る

われわれがあゆむ足元を照らす光を

われわれは 戦争に苦しみ
もう闘いたくはない
だが われわれは それでも
死体 で 腹をみたしている。」


H・G・ウェルズ

ハーバート・ジョージ・ウェルズは未来世界における菜食主義 について、
『 現代世界の理想郷 』をかいています。

「ユートピアの世界はどこにも肉はない。

かつてはあったが。いまでは
屠殺場を思いだすことさえないくらいだ。

そして教育をうけた人々の中で、
死んだ牛や豚を切りきざむような人を見つけるのは、不可能にちかい。

私はいまだにおぼえている
一番最後に残った屠殺場が閉鎖した時の、
少年のころのよろこびを 」。



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